Inoue Hisashis Essays wurden in zehn Bänden im Chūō kōron sha-Verlag veröffentlicht. Da es für meine Arbeit ohnehin von Nöten war, mir eine Übersicht darüber zu verschaffen und ich vermute, daß es auch für andere einen Nutzen haben könnte, poste ich hier die Inhaltsverzeichnisse.
井上ひさしのエッセイ集1-10の目次
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パロディ志願 エッセイ集1
Parodi shigan パロディ志願 (Der Wille zur Parodie). Essei shū エッセイ集 (Essay-Sammlung) 1. Tokyo: Chūō kōron sha 中央公論社, 1979.
パロディ志願
喜劇は権威を笑う
浅草のコトバと劇場のコトバ
喜劇による喜劇的自己矯正法
表と裏
表裏現代喜劇合戦
悪口雑言戯論――ある「助六」論
パロディ思案
浅草の犬
わが言語世界の旅
冒頭の一句――私の小説作法
「卑下慢」の弁
パロ一アイ志願
モッキンポット師――私のヒーロー
意味より音を1
ニセモノへの賭け
喜劇的猥褻論1
喜劇的猥褻論2
趣向を追う
地口落ちについてのメモ
道化の方法
ささやかな宗教改革の試み
文体よ、油揚やるから飛んで来い
わたしにとっての戯作
「百年戦争」
シェイクスピアは海である
涙ながらに浅草を語れば
ぼくらに思想がないという噂は本当だろうか
アテゴト師たちのおもしろい劇場
シェイクスピアは海である
述語であり続けること
この「大変さ」に見合うものを
七十四歳までに五十本
なにしろはじめてのことばかり
意味より音を2
芝居の趣向について
「ひげの生えたパイプ」について
いわゆる差別用語について――朝日ジャーナルの匿名批評家に寄す
二通の手紙
われわれの専売特許はいつまでも「呆然自失」か
犬と三億円
なぜ方言でなければならないのか
ある魔男狩について
グレゴリウス一世から日の浦姫まで
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風景はなみだにずすれ エッセイ集2
Fūkei wa namida ni yusure 風景はなみだにゆすれ (Die Landschaft bebt in Tränen). Essei shū エッセイ集 (Essay-Sammlung) 2. Tokyo: Chūō kōron sha 中央公論社, 1979.
言語游戯者の磁揚
言語遊戯者の磁場――平賀源内
藪原検校
おかしな江戸の戯作者
日本文学の滑稽について
歌麿の世界
狂歌・川柳の笑い
書き抜き桜田門外の変
猫の草紙
乱世の宗教者法然と道元
和楽と諷刺――狂言「武悪」を中心に
風景はなみだにゆすれ
一叩一推人答えず
天保二年と大正六年のふたつの秋について
日本語使いの達人としての賢治
風景はなみだにゆすれ
忘れられない本――宮沢賢治『どんぐりと山猫』
北杜夫における抒情とユーモア
殴られつづける主人公たち
ランドローバーとしての安部文学
清張文学 魅力のすべて
月並み常套句と金芝河
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北杜夫『船乗りクプクプの冒険』
北杜夫『高みの見物』
星新一『おみそれ社会』カイセツ
広瀬正『鏡の国のアリス』
丸谷才一訳のジェローム・K・ジェローム『ボートの三人男』
多田道太郎『遊びと日本人』
山口昌男『道化の民俗学』
田原総一朗『大統領を知らない人たち』
高橋康也『ノンセンス大全』
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ジャックの正体 エッセイ集3
Jakku no shōtai ジャックの正体 (Jacks wahres Gesicht). Essei shū エッセイ集 (Essay-Sammlung) 3. Tokyo: Chūō kōron sha 中央公論社, 1979.
ジャックの正体
かつて魚と鉄が戦っていた
レイダンボウカン
若者文化とテレビ――台本作家の「待罪書」
テレビという名の他人様
「ラスト・タンゴ・イン・パリ」
食後のつぶやき
検察官への逆告発
ある保守的文化人への手紙
人間ドック体験記
狂歌元年――一九七四年を跡づけて
ドン松五郎テレビを語る
高校野球大会初日観戦記
空手映画と田中たち
お道化者殺し――わが川中角栄論
法と作物
学力のかわりに能力を
なぜ外国語が話せないのかについて
「海外へ」と「海内に」について
憲法を生きて――破られた戦力放棄と議会民主主義
参院選の公約むなし――社会党への恋文
晋のセンス今いずこ
エンについて
ジャックの正体
歴史は地理にかなわない
歴史は地理にかなわない
オーストラリア通信
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さまざまな自画像 エッセイ集4
Samazama na jigazō さまざまな自画像 (Verschiedene Selbstportraits). Essei shū エッセイ集 (Essay-Sammlung) 4. Tokyo: Chūō kōron sha 中央公論社, 1979.
さまざまな自画像
恐怖症者の自己形成史
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名前について
浅草と直木賞と私
道元の洗面
『正法眼蔵』
下戸の屍理屈
コンチキ・バンバン
脱線余暇論
罐詰体質について
わが蒸発始末記
愛は時を喰う
わがマイホーム遍歴
自画自讃
主題歌
*
わがアイデア母さん
現代歌情
「また逢う日まで」
「とても不幸な朝が来た」
「浪曲一代」
「涙から明日へ」
「港の別れ唄」
「お金をちょうだい」
民謡
「個人授業」
淋しい餓鬼大将
淋しい餓鬼大将
シュシュシュシュシュ
最良の意味の「先生」――宇野誠一郎
憎いあいつ――藤本義一
歌手野坂昭如
天才アカボン――赤塚不二夫
芸者遊び
女房の面の皮千枚張り――ことわざ・川柳にみる女の一生
気に入らない銀座
都と東北との関係につい℃
カントとフロイト
捨て子
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聖母の道化師 エッセイ集5
Seibo no dōkeshi 聖母の道化師 (Der Clown Mutter Gottes). Essei shū エッセイ集 (Essay-Sammlung) 5. Tokyo: Chūō kōron sha 中央公論社, 1981.
聖母の道化師
ひろがる世界、さまざまな言葉
ひろがる世界、さまざまな言葉
私のことば史抄
*
わが罪状
私の道元禅師
夢の逃げ足
計画狂の背理
獲物を待ちつつ
キャスリーおじさんのことなど
わが町市川
市川での土方歳三
鴻ノ台だより1
鴻ノ台だより2
「二人でお酒を」――現代歌情
地図ゲーム
地図ゲーム
珍案非特許井上式年表の作り方
*
旅人宿長崎屋のこと
キク月水
賢治の上京
読書日録
雑誌と私
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遅れたものが勝ちになる エッセイ集6
Okureta mono ga kachi ni naru 遅れたものが勝ちになる (Zu spät sein führt zum Sieg). Essei shū エッセイ集 (Essay-Sammlung) 6. Tokyo: Chūō kōron sha 中央公論社, 1989.
遅れたものが勝ちになる
日本語
「個人的見解」への個人的見解
希望の制度
戦後史をどこからはじめるのか
私家版憲法読本
遅れたものが勝ちになる
老=若・男=女の対称性
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百年後の古典は……
みごとな音の構築
百年の日本人「夏目漱石」
カナシイ夜は「賢治全集」
道元の言語世界
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ブロードウエイ仕事日記
架空インタビュー
樋口一葉に聞く
宮沢賢治に聞く
石川啄木に聞く
すぽーつ・ふらすとれいてっど
ボールの行方
ゴルフについての悪口
審判のマバタキ
片目の名ショート
重力の問題
運動選手のハイヒール
一拍子の名選手
地方リーグはいかが
かくし球効果
科学野球はゴメンこうむる
巨人ぎらいの年表
一九八一年の若武者たち
投手と打者との関係について
ジャパニーズ本塁打
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悪党と幽霊 エッセイ集7
Akutō to yūrei 悪党と幽霊 (Schufte und Gespenster). Essei shū エッセイ集 (Essay-Sammlung) 7. Tokyo: Chūō kōron sha 中央公論社, 1989.
悪党と幽霊
芸談スクラップ
双子花瓶の話
世は「平等」ばやり――私の“ぶんか論”
生きた教材――貿易摩擦
人びとのことばを――アジア・アフリカ・ラテンァメリカ文化会議に参加して
二十一世紀へのバイブル
だれのための教育か
私の教科書検定論――復古調『高校日本史』を読んで
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彼の前に帽子を脱ぐ理由
銀座礼讃
日本の「文化感知器」――有楽町にまた人が湧いてきた
私の転機――米屋の奥さんの足音
クリスマスの思い出
はじめての万年筆
ファッションと私
本とわたし
銭
木村教信者の弁
キャンベラの司馬さん
最前衛を突っ走った夷斎先生
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悪党と幽霊
児童文学名作全集解説
昭和庶民伝三部作を書き終えて
前口上
小林一茶
改稿雑感――新・道一兀の冒険
「ことばを預かる質屋」の意味――国語事件殺人辞典
大芭蕉と小芭蕉――芭蕉通夜舟
小沢昭一の二つの冒険――唐来参和
楽天家諸氏に脱帽――キネマの天使
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日本人のへそ
きらめく星座
國語元年
イーハトーボの劇列車
泣き虫なまいき石川啄木
花よりタンゴ
雨
闇に咲く花
雪やこんこん
長屋の仇討
軽演劇の時間
演ずるバリ島
軽演劇の時間
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死ぬのがこわくなくなる薬 エッセイ集8
Shinu no ga kowakunaku naru kusuri 死ぬのがこわくなくなる薬 (Medizin gegen Angst vor dem Sterben). Essei shū エッセイ集 (Essay-Sammlung) 8. Tokyo: Chūō kōron sha 中央公論社, 1993.
母君の遺し給ひし言葉
受難らしきもの
母君の遺し給ひし言葉
遅まきながら楽典を
少年詩人の勘定書
外国語
ある少女の二年間
別冊で思い出すこととなると
コトバの溶鉱炉
国語辞典の中の一生
新しい辞典の噂
現在望み得る最上かつ最良の文章上達法とは
ワープロは日本語を変えたか
死ぬのがこわくなくなる薬
病院渡り者
死ぬのがこわくなくなる薬
私のとっておきの話
きたない話
面会時間
私の名探偵――ブラウン神父
日常に革命的風穴をあけた品々の歴史――『モノ誕生「いまの生活」』
山形城――旅人だった山形の城主たち
「道場破り」をしながら旅をした遊歴算家――『和算家の旅日記』
好きな道――柳橋一丁目
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府中市に足を向けて寝られない話
ある夏の思い出
野田秀樹の三大技法――『野獣降臨』
八重子さんの戦さ
三留理男さんのこと――『凱餓』
負け惜しみでいうのではない
プログラムへの執筆回避願い状
吉川英治と私
理想の空間
島田歌穂十讃
講堂映画会の夜
イツモ静カニ笑ッテヰル
決定版までの二十年――『十一ぴきのネコ』
中村岩五郎に辿りつくまで
スミマセン
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文学強盗の最後の仕事 エッセイ集9
Bungaku gōtō saigo no shigoto 文学強盗の最後の仕事 (Die letzte Tat des Literaturräubers). Essei Shū エッセイ集 (Essay-Sammlung) 9. Tokyo: Chūō kōron sha 中央公論社, 1994.
文学強盗の最後の仕事
坊っちゃん、漱石先生を語る
淋しいという基調音
漱石との対話の、ごく一部分
フウ
解説にかえて――『あちゃらかばいッ』
先生が汽車をとめた話
人文一致のひと
昭和二十二年の井伏さん
談林俳譜
一葉の財産
接続詞「ところが」による菊池寛小伝
『父帰る』後日讃
車寅次郎氏の変質
二人の筆ノ人に感謝する――堀田善衛『定家明月記私抄』を読む
魯迅の講義ノート
文学強盗の最後の仕事
シェイクスピア――私の・選んだ・文庫・ベスト3
一人二役ということについて
これこそ真の現代語訳という凄い仕事――『桃尻語訳・枕草子』
形容詞「をかし」について
ニンゲンの可能性はすごい――わたしの観戦記
胸のマークを読み替えて
スワローズ・ファンになった理由
前口上
しみじみ日本・乃木大将
十一ぴきのネコ
イーハトーボの劇列車
シヤンハイムーン――前口上にかえて
日本人のへそ
雪やこんこん
人間合格
人間合格――再演にあたって
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この劇を観てくださろうとしているお客様方へ――『イーハトーボの劇列車』
一生分のエネルギー――『日本人のへそ』
すべては劇場で――『人間合格』
賢治の祈り
一茶との一夜
はじめに――『ああ幕があがる』
日本の仇討
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餓鬼大将の論理 エッセイ集10
Gakidaishō no ronri 餓鬼大将の論理 (Die Logik des schlimmsten Lausbubs). Essei Shū エッセイ集 (Essay-Sammlung) 10. Tokyo: Chūō kōron sha 中央公論社, 1994.
餓鬼大将の論理
支配人物語
作曲家バッター氏のこと
ロンドンで考えたこと
ロンドンの二日間
心の内昭和は続く
指数と視点
コメ不足は人災
新しいことばを
大自然からの勘定書――『地球を救え』
どんな自由化論者も論破は無理だ――『「新みずほの国」構想』
『いま、米について。』解説
好きで嫌いで好きなアメリカ
絶対の相対化を
あまりの阿呆らしさに
餓鬼大将の論理
ふたつの道
それからの「吉里吉里国」
フランス流バカンスの秘密
キンキラ日本の組織標本
闇の消失
誰が彼女を殺したのか――『マリリン・モンロー最後の17週』
英雄伝説・黄金伝説が生きる街――『ブロードウェイ物語』
米国人の行動言語から解く見事さ――『アメリカ200のキーワード』
みるみる生き返る読み手の「雑学」――『経済発展と民主主義』
底深い凄味ぴかぴか光る書評集――『週刊図書館40年』
「日々難渋也」…心休まる励まし――『全日記小津安二郎』
『愛される理由』解説
夢の昇格――『夢の木坂分岐点』
「われわれ」と「彼等」
松本清張「湖畔の人」の文体
こんな生活
『この国のかたち』のかたち
*
め・芽・眼
ビデオ漬け
映画だけは飯の種にすまい、と心にきめて生きてきた
闇の消失
読売演劇大賞によせて
演劇をつづける理由